日本人なら、巣鴨を歩くおばあちゃんですら知っている機動戦士ガンダム。
これは、お台場にあるダイバーシティのガンダムですが、このガンダムと、今は東京の観光地として世界中から人が集まるお台場とは、とても似通った生い立ちだということをご存知ですか

今ではクイズにすらならないほど有名な『ガンダムの放送打ち切り』

ガンダムが初めて放映されたのが1979年。
名古屋テレビ制作ではじまったガンダムですが、初回の視聴率は何と3.5%。
惨憺(さんたん)たる結果から、当初52話放送予定だった作品は43話に短縮されてしまいました。

今の人気からは考えられないことですが、ガンダム人気に火が付くのは放送後からで、今では日本を代表するロボットアニメも、発進当初は苦難の連続だったようです。

20年前、お台場は荒涼たる空き地でした

そんなガンダムと同じようのに、このお台場という場所も、開発が始まってからしばらくの間は、荒涼たるただの埋め立て地で、1980年台後半、ここへ今の豊洲側から海水浴に行った時は、どれだけ走っても空き地しかない景色に、「本当にこの先に海水浴ができる場所があるのだろうか」と不安になったほどです。

お台場は、その名の通り、幕末に黒船対策として砲台を作るために埋め立てられた小島で、昭和の時代までは、特に活用されることもないただの空き地でしかありませんでした。

そんなお台場が一気に話題の中心となったのが、1993年(平成5年)当時の鈴木俊一東京都知事により発表された世界都市博覧会開催計画から。

まさに、今にもはじけそうなバブル景気を象徴するかのような安易な計画は、バブル崩壊とともにいとも簡単に崩れ去り、1995年(平成7年)の都知事選で、「世界都市博覧会中止」を掲げて当選した放送作家の青島幸男により、あっさりと中止が決定してしまいます。

そして、このお台場に残ったのは建設予定地として更地にされた空き地だけ。

人気が出ずに放送打ち切りとなったガンダムと同じような運命を、このお台場もたどっていたのです。

救世主現る

そんなどん底状態だったガンダムを救ったのが、のちにガンプラという言葉を生んだプラモデル人気です。

もともと、子供向けのおもちゃメーカーとのタイアップでスタートしたガンダムですが、ガンダムの世界観は、製作サイドやおもちゃメーカーの読みとは違い、若干高めの年齢層に受けるものでした。
そのため、放送後にタイアップしていたおもちゃメーカーは撤退し、新たにバンダイからプラモデルが発売されるのですが、これが大ヒット。

こうして、ガンダムという日本を代表するアニメが不動の地位を確立するというストーリーを、お台場も同じように踏襲してゆきます。

世界都市博覧会の中止の直前にできあがっていたレインボーブリッジは、その先へ渡って行っても何もないというバブルの象徴のような橋でしたが、その橋の先に新たな観光名所が出現します。

それがお台場へ移転してきたフジテレビ

その特徴的な社屋と、フジテレビの目の前に、実は東京で唯一の海水浴場があったということが話題となり、多くの人がお台場を訪れるようになりました。

以降も、フジテレビはお台場を舞台としたテレビドラマ『踊る大捜査線』をヒットさせるなど、この場所の宣伝に大きく貢献し続けます。

現在のお台場も、観光客が訪れるのはフジテレビやダイバーシティーがある近辺のみで、築地から中央卸売市場が移転しでくるのが話題の有明方面は、今でも空き地だらけ。

まさに、フジテレビがお台場を救ったといっても過言ではないでしょう。

ガンダムが進化するように、お台場も進化する

ガンダムシリーズは今も進化を続け、小説やOVAが次々と発表されていますが、お台場もまたしかり。

先の、中央卸売市場の移転以降も、六本木ヒルズ運営する森ビルがエンターテイメント施設の建設を計画していて、開発はまだまだ続くようです。

スタートでつまづきながらも、今では知らない人はいないほどの存在にまで登りつめたガンダムとお台場。

もちろん、そんなことを考えてこのガンダムが作られたわけではないでしょうが、なにか因縁めいたものを感じずにはいられません。

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